折原文庫

東京クールスファイブ物語(第5回)
2001.12.18

第五回~羯徒毘'97~

名前のないパーティーバンドから「東京クールスファイブ」となった5人を運ぶロックンロールワゴンは、着々と目的地長野に近付いていた。

バンド名が決まったところで、話はなんとなくそれぞれの芸名を決める方向へいった。まず石田さん(以下リーダー)だが、当時リーダーは「笑っていいとも!」に出演したまさに時の人であったため、そこから「いいともコキチ」というのはどうかという案があがったが、いろいろ考えた末、「銀蠅ジョニー」に決まった。

次にサトーさんだ。今回のライブの中で、サトーさんはほとんどキーボードを担当していたのだが、横浜銀蠅をやる時はギター&メインボーカルにチェンジしていた。銀蠅を歌うサトーさんはnice musicでボーカルをとっていたヒトとは別人である。例えば「つっぱりハイスクール」の間奏のセリフ部分などは演奏する度に毎回違い、何故か「じっちゃん、ばっちゃーん!」というよくわからない言葉などを勢いに任せてシャウトしていた。と、まあそれはいいとして、結局、当時ギターウルフに注目していたこともあって、サトーさんは「バリバリウルフ」という芸名に決定した。

サトーさんの芸名で確実につっぱり路線へ向かった我々の思考によって、Pさんは「夕焼け番長」風のネーミングにすることが決まった。レベッカの「フレンズ」を演る時はPさんが紅一点のメインボーカルをとっていたので「ノッコ番長」と命名された。

と、ここまで3人のネーミングを決めたあたりで、だんだんみんな飽きてきた。そう、それが東京クールスファイブだ。

次にオレの芸名を考えようという話になったが、すでにテンションが低迷していたため、いくつか候補にあがったものの決定はしなかった。ちなみにその候補の中で一番最後にあがったのが「折原信子」である。これはその年、オレとサトーさんのコンビでGIRLS BEという声優ユニットに曲を提供した時の、オレのペンネームだ。オレはこの名前で遊ぼうと、当時シンクのホームページで「オレの双子の妹」という設定でエッセイを書いたことがあったのだが、それを読んだリーダーは、この日までオレに妹がいると信じていたらしい。オレが「妹なんかいませんよ」と言ったら、「だまされた!」といって憤慨していた。

中途半端のまま決定しなかったオレの芸名のあおりをうけて、遠藤さんは全く芸名をつけようという話にもならなかった。(しかし遠藤さんは後に芸名が決定する)

と、まあそんなこんなで車は高速を下り、どんどん人里離れた山中へと進むのであった。

(つづく)

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