折原文庫

東京クールスファイブ物語(第4回)
2001.11.04

第四回~ロックンロールワゴンに乗り込め!~

12月の朝の空気は冷たく、寝不足のオレの鼻腔にツンとして広がった。昨晩のリハーサルを終え、それぞれの前夜祭を経てオレたちは昼頃にまた集合した。似たような寝不足の顔が並んではいたが、久しぶりの田園風景と今夜のライブに向けたほどよい緊張感で、誰もみなワクワクしているのは明らかだった。

石田さんの手配したワゴンに楽器を積み、乗り込んだら、さあ長野に向けて出発だ!ハンドルはまず石田さんが握った。Pさん以外の4名は全員運転免許所持者であるが、オレと佐藤さんは完全にペーパードライバーだ。というわけで運転は石田さんと遠藤さんが交代で行うことになった。

高速の風景は、すでに紅葉は終わり、どこか寂しげであった。昼飯は石田さんの提案でラーメンになった。車中には常にくだらない冗談が飛び交った。オレが心配になって持ってきたレモンティーの入ったスネークマンショーのテープは、レモンティーというよりもスネークマンショーで盛り上がってしまい、目的地につくまでにこともあろうに2回半連続でプレイされた。

ヒマ人どもを乗せたロックンロールワゴンには、今ちょうどこのバンドの運命を決める重大な会議が行われていた。そう、バンド名を決めることになったのだ!

「銀蝿やるとなるとやっぱそれ系かね」
「夜露死苦みたいな感じ系とかね」
「つっぱり系ね」
「あと5人にかけるとかね」
「クールな5人でクールファイブとかね」
「そういえば舘ひろしがやってたメンタイバンドってクールスじゃん」
「じゃあクールスファイブってことかね」
「クールスは九州なわけだけど、ほらオレらは東京から来たバンドってことで思い切って東京つけちゃうとかね」
「東京クールスファイブでいいじゃん」

……。本当はこんなに理路整然と決定したわけではない。要約するとまあこんな感じでバンド名が決まった。というか決まってしまった。オレらはこのバンド名がこんなにも長く語り継がれることになろうなど、知るよしもなかった。

そしてヒマ人ファイブは、バンド名が決定すると、今度はそれぞれの芸名をつけようということで一致した。

(つづく)

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